クリミア戦争

1854年3月28日〜1856年3月30日
Crimean War
1853年、当時トルコ領にあったエルサレムの管理権をめぐって、ロシア、トルコ両国が開戦
1853年11月30日 黒海でシノップ海戦
1854年3月28日 イギリス、フランスがトルコ側について参戦
1855年 サルジニアがトルコ側について参戦
1855年9月11日、349日間にわたる攻囲戦でセバストポリが陥落し(この籠城はトルストイの「セバストポリ物語」で知られる)、ロシアは敗北
1856年 パリで講和条約(パリ条約)を締結
モルダビア、ワラキア、セルビアの自治権確立
トルコの独立と領土の保全、ドナウ川航行の自由化、黒海の中立化が定められた。
この戦争の結果、トルコの列強従属化傾向は強まり、ロシアでは国内旧体制の破産が明確化し、近代的改革への動きが促進された。
フローレンス・ナイチンゲールが看護師団を率いて活躍した。
ヨーロッパに紙巻きタバコが広まるきっかけとなった戦争である。
また、ちょうど我が国でも、列強による通商交渉が開始される時期で、ロシア軍艦ディアナ号にも、クリミア戦争の影響が付きまとっていた。

シノップ海戦
1853年11月30日
黒海南岸のほぼ中央でトルコとロシアの海軍が対戦した。
ナヒーモフ提督率いる戦列艦6隻、フリゲイト2隻、小艦3隻のロシア艦隊が、フリゲイト7隻、小艦7隻のトルコ艦隊を砲撃。
木造船で新式砲を持たないトルコ艦隊は、榴弾を発射する砲70門以上をそろえるロシア艦隊に大敗、トルコ艦隊は蒸気船1隻を残して全艦撃沈された。
このトルコの敗戦を受けて、イギリス・フランスは連合艦隊を黒海へ侵入させ、1854年3月27日、両国はロシアに宣戦し、クリミア戦争へと発展した。

ロシア軍艦ディアナ号とプチャーチン提督
露土戦争


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新規作成日:2003年6月25日/最終更新日:2003年6月25日